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マンダレー Tour Destination in Mandalay

マンダレー Mandalay

マンダレーはミャンマー第2の大都市で国のほぼ中心にあります。イギリスに占領される前までこの国最後の王朝が置かれていました。ミャンマー北部の経済中心地としても知られています。1853年~1878年まで王位にいたコンバウン王朝のミンドン王はマンダレーヒルのふもとに王宮と町を建設しました。1885年ティーボー王の時代にイギリスの植民地になり、マンダレーは25年間の王都としての歴史を閉じました。現在までミンドン王時代のパゴダ寺院などや伝統芸能などが残っています。マンダレーの主要産業は織物業、農業、伝統工芸品業です。またインドと中国の間に位置するため、貿易の盛んな市でもあります。周辺にはミャンマー古代の都であるインワとアマラプラがあります。マンダレーは乾燥地帯にあり、気候は乾季は穏やかですが暑季は暑いです。以前は自転車の利用者が多かったのですが、現在はバイクの数が増えてきました。

マンダレーヒル Mandalay Hill

旧マンダレー王宮の北東にあるマンダレーヒルは丘全体が寺院となっています。マンダレー最大の聖地で、南参道入口の両側を2頭の大きな真っ白の獅子が守っています。頂上は広いテラスになっており、中央の塔には仏像が安置されています。テラスからはマンダレー市街や王宮、ザガイン方面、エヤワディ川、シャン高原の山並みなどが一望でき、美しい夕日が見られます。マンダレーヒルに数ある仏像のなかでも名高いのは「予言を与え給う仏陀」像。仏像は高さ約8m、全体が金箔でチーク材を彫ったものであり、このような巨木を丘の上まで運び上げ、仏像に彫り上げたミャンマーの人々の篤い信仰心が窺えます。

旧王宮 Mandalay Palace

ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の最後の王宮です。ミンドン王が1857年から建設を始め、4年後に完成されました。1885年にイギリスが占領して息子のティーボー王がインドへ連れ去られ、ミャンマーを植民地として王宮を軍の施設としました。第2次世界大戦の時1945年日本軍と英印連合軍との戦闘に王宮は巻き込まれ、炎に包まれてしまいました。現在は門とレンガ造りの城壁のみが残っています。戦後、ミャンマー国軍の施設として利用され、1991年に再建された王宮の建物の中に王朝時代の遺品が展示されています。王宮は高さ8m、幅70mの濠に囲まれており、各所に監視塔が建てられています。東西南北計4本の橋で街と結ばれています。

クトードォパゴダ Kuthodaw Pagoda

マンダレーヒル南東の麓にあるクトードォパゴダは「世界最大の書物」と呼ばれています。中央にある塔はバガンのシュエズィーゴォンに似ており、周辺30基の小さなパゴダが並んでいます。ミンドン王は第5回仏典結集をマンダレーで行いました。王は2400名の僧を集め、仏典を完全な形で729枚の大理石版に彫り写す作業をさせました。730番目の石版には、このパゴダの由来や完成まで6ヵ月間かかったことなどが記されています。マンダレーヒルの頂上からその全景が良く見えます。729枚の碑文に仏陀が涅槃に入るまでの説教をまとめた経典が書かれています。晴れた日には青空、緑の木々とパゴダの白さが鮮やかなコントラストを作り、とても美しい風景が見られます。

チャウットーヂーパゴダ Kyauktawgyi Pagoda

チャウットーヂー仏像はマンダレーヒルの麓にある寺院です。本堂にある大きな大理石の石仏はマンダレーの約30km北にあるサジン山で産出された品質の良い巨大な一枚岩で彫られました。サジン山は良質の大理石を産出することで昔から有名です。仏像は1865年にミンドン王が寄進しました。現在でもマンダレー近くの大理石生産地から大理石を運びマンダレーで仏像等を造っています。

マハミャムニパゴダ Maharmyatmuni Pagoda

マハミャムニパゴダはマンダレー市街の南の外れ、旧空港から北西へ約1kmの所にあります。マンダレー最大の重要なパゴダです。マハミャムニパゴダの名前の由来は、本尊にあたる高さ約4mのマハムニ仏から来ています。この仏像はコンバウン王朝5代目ボードーパヤー王(在位1782~1819)の手によってアラカン地方から運ばれてきました。境内には多くの建物があり、その中にはカンボジアで造られ、アンコールワットに置かれていた6体の人間や獅子の形をした青銅像が置かれています。マハムニ仏には、自分の具合が悪い部分と同じ場所をなでると体の調子が良くなるという言い伝えがあり、像の名部はなでられてツルツルに光り輝いています。言い伝えによると、この仏像は仏陀がアラカンへ説法に行き、インドに帰る前にアラカン王の頼みにより仏像を作り完成後に仏陀から魂を込められました。そのため仏陀の力があると信じられ、毎日のように多くの信仰深い人々が訪れています。

サンダムニパゴダ Sandamuni Pagoda

サンダムニパゴダはクトードォパゴダの西隣にあります。ミンドン王が王宮造営の間、仮の王宮を置いていました。1866年にミンドン王の息子のミィンコン王子とミィンコンナィン王子に暗殺されたカナウン皇太子と皇太子と一緒に暗殺されたミンドン王の二人の息子の墓もあります。ウーカンデイ隠者が仏塔内に碑文を建設し1774の塔が現在あります。仏典を刻んだ石版が納められています。

シュエナンドー僧院 Shwenandaw Monastery

この僧院はクドードォバゴダの南にある木造の僧院。19世紀コンバウン王朝末期のミャンマー最後の王、テイーボー王が建てた建物です。1878年に父であるミンドン王が亡くなった後、息子のテイーボー王が即位しました。父王が住んでいた宮殿の寝室にあたる建物を分解し、王宮の外で組み立て当時有名なお坊様のために寄進しました。建物全体がミャンマー彫刻の傑作品と言われています。王宮の彫刻は全て焼失しており、残されているのはこの僧院のみとなっています。もともと宮殿だった時から建物全体に金箔が貼られているため、シュエナンドー寺院(シュエ=金、ナンドー=宮殿)と名付けられています。

ゼージョーマーケット Zeygyo Market

ゼージョーマーケットはマンダレー最大のマーケットで大きなビルの中にたくさんの商店があります。マーケットには色々な商品や日常生活品などが売られていて大勢の人たちで賑わっています。26番通りと84番通りの角に建っている時計塔は、イギリス植民地時代にビクトリア女王の即位60周年を記念して建てられたものです。マンダレーはインドと中国の国境町の中心部にもあり、ミャンマーの中心部にあります。そのためこのマーケットは今でも重量なマーケットです。

マンダレーの周辺 Mandalay Environments

ザガイン Sagaing

ザガインはマンダレーからエヤワディ川をインワ鉄橋で渡るところに位置しています。ザガインは静かな遺跡の町、僧院の町、修行の町とも呼ばれています。ザガインの歴史は1315年、バガン王朝の崩壊後、シャン族のピンヤ王の息子が王国を建て都と定めましたが長くは続かず、1364年にはインワに遷都されました。その後、18世紀ミャンマー最後王朝の2代目ナウンドジー王の時にはザガインとシュエボーを都としていました。ナウンドジー王が亡くなり後にはミャンマー王都の歴史を閉じて、パゴダや僧院が次々に建てられ、仏教修行の中心地となりました。

ザガインヒル Sagaing Hill

ザガインにある有名な山です。山全体に150以上のパゴダと僧院があります。頂上にあるソンウーポンニャーシンパゴダからは遠方のマンダレーヒルとカウンムードーパゴダが見渡せます。この近くには第2次世界大戦で亡くなった日本帝国軍の兵士の記念の慰霊塔があります。

カウンムードーパゴダ Kaunghmudaw Pagoda

カウンムードーパゴダはザガインからモンユワ方面へ10kmほど行ったところにあります。ミャンマーで最大の仏塔の一つです。入口を獅子に守られ、境内には高さ45mの塔があります。このパゴダは1636年、インワを王都として定めたニュウヤン王朝の4代目ターロン王が建てましたが完成前に亡くなったので息子のピンタレー王の時代に完成しました。インドのサンチーパゴダの形を基本に建立したと言われています。

インワ Innwa

インワはミャンマー王朝時代に14~19世紀まで都として盛えた町です。名はパーリ語でラダナ・プラと呼び、「宝石の町」という意味になります。インワは1364年にザガインとピンヤー王朝の血を引くタドミンソーにより建てられた都です。1752年に下ミャンマーの攻撃を受けて破壊されましたが、コンバウン朝によって王都になり、1838年に発生した大地震で大きな被害を受け、1841年にターラーワディー王はアマラプラへの遷都を決意し、インワの王都としての歴史を閉じました。今現在でも当時の城壁と門の一部が残っています。マハーアウンミェ僧院は1818年にコンバウ王朝の6代目バジドー王の第1王妃により建てられたレンガ造りの僧院で200年の歴史があります。バガヤー僧院はバヂドー王によって建てられたチーク材の僧院です。ミャンマーの木材の僧院の中でも古い僧院のひとつです。

ミングォン Mingun

ミングォンはエヤワディ川をマンダレーから10kmほど上った対岸にあります。コンバウン王朝で一番権力が高く長いボードーパヤー王(在位1782~1819)が、世界最大のパゴダを目指した未完成のパゴダ跡が残っています。完成していれば世界一高いパゴダになっていましたが、ボードーパヤー王が建設途中にこの世を去ったため土台部分が完成した後の工事が中断され、その後の1839年の地震で部分的に崩れてしまいました。上部に登ることが出来、エヤワディ川、マンダレーヒルなどの素晴しい風景が見渡せます。その周辺には仏塔を守る大きなライオンの壊れた像があります。ミングォンの鐘は1808年、建設中の巨大パゴダのためにボードーパヤー王が造らせた巨大な鐘です。口の部分の外が約5m、重量は90トンでヒビの入っていない釣鐘としては世界最大級です。バヂードー王(在位1819~37)が、皇太子時代の1816年に他界した皇太子妃シンピューメェを悼んで建てたパゴダがあり、ミャンマーのタージマハルとも呼ばれています。

アマラプラ Amarapura

アマラプラはマンダレーの南約11kmにある、現在では「南の町」という意味の「タウン・ミョー」と呼ばています。パーリ語では「不死の町」を意味し、エヤワディ川とタウンタマン湖に挟まれています。1783年、ボードーパヤー王がインワからこの地に王都を移動しましたが、40年後の1823年にバヂードー王が都を再びインワに移しました。その後1841年にはターラーワディー王が再びアマラプラへと遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへの遷都を決定しました。その時に主要な建物などはマンダレーに運ばれたため、今では王都があった場所としか記録に残っていません。織物産業が有名な町です

ウーベイン橋 U Bein Bridge

ウーベイン橋はアマラプラのタウダマン湖にあります。ウーベインとは、インワからアマラプラへ遷都された時の副市長の名前です。彼はインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために全長約1.2kmのこの橋を架けました。世界最大のチーク橋とも言われております。160年前に造られた橋が修復を重ねながら現在でも利用されています。

マハーガンダーヨン僧院 Mahagandhayon Kyaung

ミャンマーで最大の僧院のひとつで、全国から1000人以上の僧侶がお経を学びに来るお寺です。お寺では上座部仏教の僧侶の日常生活等を見学できます。このような僧院が多いことからマンダレーは昔から僧侶の町とも言われています。

モンユワ Monywa

モンユワはマンダレーから西へ約160km。エヤワディ川の支流であるチンドィン川の東岸に発達しています。モンユワは人口約20万人、サガイン最大の都市です。古くからインドとの交易の中心地として栄え、インドからの密輸物資がここから国内各地へと送られる集散地でもありました。現在でも商業が盛んで、大通りをたくさんの乗り物が行き交いしていて活気があります。郊外には不思議な形をした寺院や自然の洞窟を利用した寺院など見所が多いところでもあります。またインドと近いのでインパール戦から引き上げてきた旧日本帝国軍の慰霊塔もマーケットの近くにあります。

タンボッデー寺院 Thanboddhay Temple

1939年に建てられた寺院で、広い敷地内のたくさんの建物の中心に針山のように塔が林立した本堂があります。その内部には58万体を超える大小様々な仏像が置かれています。本堂の隣には回廊に囲まれた池があり、魚がたくさん泳いでいます。高い塔の上から周囲に広がる緑の平原の美しい景色が眺められます。象が寺院の守り神となっているのが特徴です。

ボディタタウン Boddhi Tataung

ボディタタウンはタンボッデー寺院から車で15分のところにあります。小高い丘の上に2体の巨大な仏像があり、その下の広大な敷地に無数の仏像が並んでいます。大きな涅槃仏はシュエターリャウンは全長111m、幅10mの大きな涅槃仏です。内部には仏像や色々なジャカルタの物語が展示されています。その後ろに立つ仏像がレーチョン・サチャー・ムニで、高さ116m、台座を入れると129mあります。仏像の内部は33階建て、エレベーターで27階まで上がることができ、仏像や仏教に関する展示物が置かれています。

ポーウィン山 Phowintaung

ポーウィン山はチントィン川の西にあります。モンユワから昔はフェリーで行きましたが2005年に橋が完成したので現在は橋を渡り行けます。山の近くには壁を彫り仏像等が作られています。また人工で彫った洞窟等には壁画等一部が残っています。仏像等の形から13世紀~14世紀の間に造られたと言われています。ミャンマーで有名な石仏の一つでもあります。

メイッティーラ Meiktila

メイッティーラはバガン時代からの町でもあり町の真ん中には大きな池があります。この町は日本との関係が深く第2次世界大戦で亡くなった多くの日本兵の慰霊塔があります。14世紀の有名なミャンマーの大臣であるウンゼンミンヤザーが生まれたところでもあります。彼はインワ王朝の2代目王ミンジースワーソーケー時代から息子の時代まで大臣として任務しました。旧日本帝国軍兵士と遺族が世界平和パゴダとしてナガヨン・パゴダを建てました。このパゴダの内には第2次世界大戦で旧日本帝国軍が使用していた戦車が展示されています。

ピンウールイン(メイミョー Pyin Oo Lwin(Maymyo)

マンダレーの東70kmの海抜1,100ほどの高原にある涼しい町。植民地時代、避暑地として多くのイギリス人がやって来て家や別荘を建てたところで、現在も当時の面影を残しています。イギリス時代にはメイミョーと呼ばれていましたが、1990年にピンウールインと変更しました。現在もミャンマー人の旅行先として人気があります。広大な植物園には大きな池があり、その周りにさまざまな植物が植えられています。マンダレーからも土日など休みの日に観光に来る人達で賑やかです。近くには2006年にオープンした国立ランドマークス・ガーデンがあり、ミャンマー各地の見所の模型を見ながら回ることができます。ペイチンミャウン洞窟はピンウールインから8kmの郊外にあり、奥行き約600mの錘乳洞を利用した洞窟寺院があります。元はただの洞窟だったものが、政府により1990年に大規模な改装工事が行われ、国内の有名寺院を模したパゴダやたくさんの仏像が納められ、一大観光地になりました。アニサガンの滝など大小さまざまな美しい滝も見所のひとつです。

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